さぁ、いよいよ続100名城巡りも最後の城に登城です。
なぜ、ラスボスなのか?
それは、この城の規模と立地を知れば、十分理解出来ると思います。
また、『Castle(城)』ではなく、『Fortress(要塞)』と表記されているのが、何となくこの城の風貌を表しています。
まずはこの金田城(かなたのき)の説明をしますと、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた倭国は、西日本各地に古代山城を築き、この対馬には倭国の最前線の城として667年に金田城が築城されました。
なのでココの築城者は、天智天皇となります。
県道から登城路入口にある石碑。
いきなり、クルマ1台分の広さ。
途中から、未舗装になり、対向車が来たら、大ピンチです。
無事に、登山道入口駐車場へ。
軽自動車3台分くらいしか置けない広さです。
コチラにも、石碑があります。
延々と、こんな感じの道が続きます。
途中で急に開けて、浅芽湾(あそうわん)が見えました。
対馬は全体的に、リアス式海岸の美しい島です。
足下は断崖絶壁で、落下したら命はないでしょうね。
そして、最初の遺構の『南西隅石塁』。
下に回って見たら、見事な野面積みです。
そして、さらに奥へ。
もうこの辺りに来ると、登城と言うより、登山です。
三ノ城戸。
下に回って見ます。
事前に仕入れた情報では、一番奥の一ノ城戸まで行ってグルっと回るのに2時間くらいと聞いていたが、私がココに来るまでにもう既に1時間半ほどかかってしまい、何より体力の消耗が酷かったので、引き戻る事にしました。
最後に南門にも寄りましたが、シートがかかっていて石畳みを見る事が出来ませんでした。
これにて、続日本100名城完全制覇です。
ヘロヘロになりながら、レンタカーで上島の方へ向かいます。
なぜ、ラスボスなのか?
それは、この城の規模と立地を知れば、十分理解出来ると思います。
また、『Castle(城)』ではなく、『Fortress(要塞)』と表記されているのが、何となくこの城の風貌を表しています。
まずはこの金田城(かなたのき)の説明をしますと、663年の白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた倭国は、西日本各地に古代山城を築き、この対馬には倭国の最前線の城として667年に金田城が築城されました。
なのでココの築城者は、天智天皇となります。
県道から登城路入口にある石碑。
いきなり、クルマ1台分の広さ。
途中から、未舗装になり、対向車が来たら、大ピンチです。
無事に、登山道入口駐車場へ。
軽自動車3台分くらいしか置けない広さです。
コチラにも、石碑があります。
延々と、こんな感じの道が続きます。
途中で急に開けて、浅芽湾(あそうわん)が見えました。
対馬は全体的に、リアス式海岸の美しい島です。
足下は断崖絶壁で、落下したら命はないでしょうね。
そして、最初の遺構の『南西隅石塁』。
下に回って見たら、見事な野面積みです。
そして、さらに奥へ。
もうこの辺りに来ると、登城と言うより、登山です。
三ノ城戸。
下に回って見ます。
事前に仕入れた情報では、一番奥の一ノ城戸まで行ってグルっと回るのに2時間くらいと聞いていたが、私がココに来るまでにもう既に1時間半ほどかかってしまい、何より体力の消耗が酷かったので、引き戻る事にしました。
最後に南門にも寄りましたが、シートがかかっていて石畳みを見る事が出来ませんでした。
これにて、続日本100名城完全制覇です。
ヘロヘロになりながら、レンタカーで上島の方へ向かいます。